ひとりっこ、ということ。

わたしは一人っ子だ。
子どもの頃は兄弟姉妹のいる友人が羨ましかったし、なぜ自分にそのような存在がいないのか不思議で仕方なかった。
母に聞いたこともあったし、クリスマスプレゼントに姉が欲しいと父を困らせることもあった。
 
しかし、一人っ子であることを気にしていたのは両親の方だった。
一人っ子だからって我儘にならないように、一人でもしっかり生きていけるように、人一倍厳しく躾けられた。
 
我が家の教育方針は、責任ある行動をすること。自由には責任が伴う。何をしても自由だけど、その代わり責任は自分で取る。
おかげで子どもの頃から親に助言を求める事はあっても決定権はわたしにあり、なんでもかんでも自分で決めていたように思う。
 
時には失敗して、辛い目に合うこともあった。
それでもその痛みは〝次に同じことを繰り返さない〟という経験になり、自分の中に蓄積されていった。それは、経験の地層のようだった。振り返りたくないような恥ずかしい経験や、思い出したくもない悲しい体験もあるけれど、それは総じてわたしという人間を形造る大切な欠片なのだ。その地層が崩れることは、わたしという人間の崩壊と同じだと思う。
 
自分が決して厚みのある人間だとは思わないけど(平均寿命の半分も生きていないしそりゃそうだ)その経験の層の厚みは少なからず自分の人生において誇りに思う部分だった。
 
わたしは一人っ子だ。
また、関東の地方都市出身である。
これはもう根底の揺るがない事実であり、生まれ変わらない限り変更の効かない事象だった。
 
だってそうでしょう。
この時代、国籍も性別も、手続きを踏めば変更できる。
でも、こればっかりは変えられないのだ。
一人っ子である事実は養子縁組で変えられるけども。でも、血縁者という意味では不可能だ。
 
先日の出来事だが、ひっそり婚約をした。
正式なプロポーズを受けたわけではないけれど、お互い結婚の意思があるので、婚約になるかと思う。
 
そこで、生活費用の節約と結婚関連の話し合いを円滑に進める為に同居をする事にした。
わたしの親には同居を決めたタイミングですぐに報告をし、これで新しい食器をたくさん買えるね、と冷やかしを受けるなど祝福を受けた。
 
物件契約の前日、問題が発生した。
相手方のご両親が、結婚に難色を示しているという。
2週間以上前に決まっていた事をどうしてそんなに直前に報告したのか、しかも前日の夜にそれを言うのか、相手への憤りもあったが、それ以上にショックの方が大きかった。
 
ご両親の反対の理由が、
わたしが一人っ子である事。
彼の地元から離れた場所出身である事。
だ、そうだ。
 
わたしは驚愕した。
彼が恋人が出来た報告をした際に既に伝えてあったわたしのプロフィールについて、今さらケチがつくなんて思ってもいなかったからだ。
それに加えて、6月上旬に彼の故郷に伺った際も、そんな素振りはなかった。
むしろ好意的に迎えてくれていたからだ。
 
それにしても、相手方の親の失礼さには辟易した。
うちの親の面倒を見る話ばかりするけど、自分達だって大して変わらない年齢のはずだ。
そして、うちの親はわたしが一人っ子である事はもちろん承知のわけだから、老後の蓄えや人生プランだって人一倍きちんと練っている。
失礼すぎないか。
うちの親に頭を下げて詫びろ。
そんな事を思って、相手にぶつけてしまったりもした。
 
とまぁそんなこともあったけども、
結局は相手が「これは自分の人生だから」と意思を固め、なんとか同居を始めた。
 
あれから数ヶ月。
先日相手が実家に帰ったところ、驚愕の事実。
 
まだ、反対していた。
なんなら、親かわたしかどちらかを選べ、みたいな事態になっている。
成人した男性の人生に口を挟む親もどうかと思うけど、もっとどうかと思ったのが彼が親に言われた言葉だった。
 
【育てるのにいくらかけたと思ってるんだ。
 
…え?
勝手に産んだのあなた方ですよね?
産んだら育てる義務があって、それは褒められるべき事じゃないと思うのですが。
 
これを聞いて、相手方の親には申し訳ないけど別次元に生きる生命体なのだと思ってしまった。
 
親の問題はあれど、お互いの意思が変わらない。
もう、どうしたらいいのか。
霧に包まれた同居生活は、続く。
 
一人っ子ということが、人生のこの地点で引っかかるとは思いもしなかった今日この頃。

歩くのはやめないが走るのはやめた。

復活したり、やっぱり滞ったり、感情はいつも不安定だ。

どうして自分はこんなに不安定なんだろう、みんな安定して暮らしているのに、と、何年も前からずっとずっと思ってきた。
 
でも最近ふと思う。
“みんな”とは。誰のこと?
あと、本当に安定してるのだろうか。
 
いつも元気そうなあの人も、家に帰ったらスイッチが切れたようにだらしなくなるのかもしれない。
部屋なんて荒れ放題で、手の届く範囲に一通りの身の回り品があったりして。
 
わたしの思う“みんな”や“世界”は、あまりにも完璧すぎるのではないだろうか。
 
わたしが心身共にキャパシティ狭いように、
他の人はすぐにお腹を壊すかも。
わたしにとっては容易い気遣いも、
他の人は逆立ちしても気づけない事かも。
 
と、いうのをふと思いついてぶわーーーって書き連ねたんだけど、読み返したら訳わかんないな。
伝わるかなこれ。伝わるかなとか思ってるその気遣いさえも無駄だったりするんだよな、きっと。
 
先日、自分の今までと体調不安定な事とか考えられる全てのウィークポイントを人に告白した。
やべーと思う。1時間はわたしのターンだった。
 
で、その人は話し終わって息の上がるわたしに一言。
「それって、ウィークポイントなの?」
え。違うの。なんならデメリットだと思うけど…。
 
人には色んな面があって、それはあなたの一面にしか過ぎない。
少なくとも今聞いた話の中でウィークポイントと感じる部分は一つもなかった。
だ、そうだ。
 
薄くかかっていた雲が晴れて陽射しがさすような、そんな感覚に襲われた。
自分が今まで悪いと思っていた部分、そして人に全否定されてきた部分、そう感じない人もいるんだ。
わたしは見えない“みんな”に気を遣って、
気持ちをすり減らして自分で自分を殴ってきたんだな。
なんてかわいそうなんだ、わたし。
 
で、話は冒頭に戻る。
感情はいつも不安定だ。 
でも、信頼している大切な友人が言っていた。
「不安定でいい、弱くてもいい、って自分を認めてあげたほうがいい」
本当にその通りだと思った。
 
安定してる人なんかいない。
みんなどこかしらで考え事をしていて、何かしらに感情を揺さぶられている。
揺さぶられるままに、揺れてればいいじゃないか。
満員電車を思い返せ。
慣性の法則に逆らって直立不動でいるのは不可能だし、その場をキープしていたらいろんなおっさんの圧力でひっくり返るじゃないか。
そゆこと。
どゆこと?
 
今は比較的気持ちが安定してるからこんな前向きに話せるけど、多分滞って腐ることもあるだろう。
そんな時は思い出そう。
 
完璧な世界は頭の中にしかない。
完璧な人も心の中にしかいない。
フィクションに、心を殺されるな。
 
そゆこと。

 

ミッドナイトニッポン

サッカー日本代表戦を観た。

あ、なんか現地まで行って観てきた感ある書き方になってるけど、普通にテレビで。

日本代表の行方が気になっていた友人から、

「仕事終わった!点入ったかな?」と連絡があったので、

「点…入れられて…る」

「前半32分、0-1。マケテル」と悲報を告げると、そこからずっとLINEが続いた。

スタメンを伝え、現状を実況し、もはやわたしはLINE界の松木安太郎と化していた。

なんだその不安な二つ名。

 

後半に入り家に着いたらしき友人に引き続きLINE界の松木安太郎ことわたしが実況を続けていると、友人から電話がかかってきた。

同じサッカー観てるんだしもはや一緒に観よう的な流れだった。

まだ携帯電話を持っていなかった20年前ではあり得ない状況に感動した。

別の場所にいるのに同じテレビを観ながら通話する事で、なんか隣で一緒に観て盛り上がっているみたいな感覚。

文明、すごい。

後半になって動きの良くなった日本代表を観ながら、そんな事を思っていた。

 

試合は終わった。

しかし、通話は続く。

友人の仕事がどうだったとか、休みのわたしが今日一日何をしていたとか。

ちなみに友人は繁忙でハイパー残業をかましており、

わたしは休みだったので家事読書YouTubeの一日だった。

というか、ほぼYouTubeだった。何やってんだ。何も生み出さずに一日終わった。

そのまま話は続き、なんだかパーソナルな話になった。

 

わたしはとにかく自分に自信がない。

顔もスタイルもファッションもセンスも、とにかく何もかもに自信がない。

加えて、お付き合いする男性をことごとくダメにする、気がする。

人をダメにするなんとやら、だ。

 

人のために何かをするのがとても好きだ。

自分の時間を割いてでも、相手のために何かしたい。

相手の笑顔を見るためには自分の時間や労力を惜しまないタイプの人間である。

こう書くととてもよく出来た人間のようだけど、全然そんな事はない。

相手の喜ぶ顔が見たくて色々してあげてしまう余り、相手がどんどん堕落していってしまうのだ。

甘えられるのは大好きだ。しかし、堕落させるのはまずい。

結果的にわたしが人を甘えさせる、誰かのためにする行為は、自分が気持ちよくなる為の自慰行為に過ぎないのではないか、と最近考えるようになった。

 

と、そんな話を友人にした。

友人も困るだろう、そんな事話されても。

聞き上手の友人で良かった。

 

人と一緒にいるメリット、デメリットなど人付き合いの話になった時、友人がぽつりと言った。

「私はあなたに何を与えられるんだろう?」

おぉ。それはつまり、わたしが友人と一緒にいる(友人でいる)メリット、という事かな?わたしは即答した。

「安心感。」

友人は自立している。それは実家を出ているとかそういう意味ではなく、精神的にという意味でだ。

自制が出来たり、考えに一つの芯があったり、信念を持っていたり。

とにかく友人は自立している。わたしが甘やかしても、堕落しない。

そういう点で、わたしが寄りかかっても平気だという安心感がすごい。

人を甘やかしちゃうから、ついついわたしは全部自力でやって自力で立たないといけないと思ってしまう。

その感覚を手離してくれたのがこの友人だ。

 

安心感すごい。を繰り返すと、

友人はとても照れ臭そうに、でも嬉しそうにしていた。

逆に質問した。

「わたしはあなたに何を与えられてる?

というか、わたしといる事でどんな物をもらえると感じる?」

質問が回りくどくて慌てる友人が即答した。

 

楽しさ。

 

…楽しさ?え?楽しいですか、わたしといるの…。

 

自分に自信がないマンのわたしには有り難すぎるお言葉。

理由を問えば、とにかく話題に事欠かない、ずっと笑ってる、明るい、なんか放っといても遊びの行き先を決めてくれる等、有り難すぎて友人宅の方向に五体投地でお礼をしたいレベルだった。

 

そうか。

今まで自分という人間は誰かの為に動ける、みたいな所が長所だと思っていたけど、

人から見たら“楽しさを与えられる”というアビリティもあったのか。

なんか、聞いてよかった。安心した。

と、安心感すごい友人にまた安心させられたのだった。

 

特技は、虚空からでも話題を引っ張り出して話し続けられることです。

明日から履歴書にこう書こう。

いつもあなたに楽しさを。エンジョイユアライフをお手伝いするmomocofffです。

キャッチコピーはこれにしよう。

などというしょうもない事を考え、夜も更けたので電話を切った。

 

誰かと話をするって、いいな。

そう思ってスマホの画面を見ると、

【通話時間:5時間14分】と表示されていた。

深夜の馬鹿力2回半ぶんくらい喋ってんじゃん。

オールナイトニッポン始まってゼロ超えて朝ぼらけまで終わるレベルで話してんじゃん。

さすが虚空の錬金術師。

次からは会って話そう。そう思ってスマホの画面を閉じた。

結局、彼は左利きだったのか?

失恋は吹っ切れた。もう完全に。

絶対引きずるし絶対後悔するとか思っていたけど、人間そんなに暇じゃない。

働くし、家事をするし、ごはんを食べるし、カルピスも飲む。ああ、おいしい。

そういう日常に、非日常イベントの失恋はあっけなく流されていった。

 

あ、吹っ切れたな、という瞬間は、ほんとに不意に訪れた。

一人でドトールにいてぼーっとミラノサンドAを食んでいた時、店員さんがコーヒーを注ぐ動作がふと目に入った。

Sサイズのカップに器用にピタッと適量注ぐその様にぼんやりながら惚れ惚れしていた時、ふと疑問が湧いた。

あれ、あの人、どっち利きだったっけ。

彼が右利きだったか左利きだったか、思い出せなくなったのだ。

別に彼がコーヒー好きだった訳でも、ドトールやスタバの店員だった訳でもない。

人の動作を見て、本当に不意に思った。

薄れている。印象が。

なくなっている。興味が。

恐ろしいことに、顔まで思い出せなくなっていた。

 

人間の記憶って、すごい。

あっけなく消えていく。

ミラノサンドAを口に含みながら、今回の失恋については完全に吹っ切れたと確信した。

 

でもこれって、自分も相手から同じように忘れられるって事だ。

それは恋人じゃなくても、友達だとしても。

人の記憶容量なんて限界があるんだから、使わない記憶は容赦なく消されていく。

きっとわたしもそうやって色んな人から容赦なく消されてきたのだろうし、

同様にわたしも容赦なく消してきた。悪い事は、2倍の速度で。

 

だからこそ思う。

親友や好きな人、大切にしたい人の記憶には残りたい。

強い印象でガツンと残すもいいだろうし、小さな印象をコツコツ残してもいいだろう。

とにかく相手の記憶の隅っこに居場所が欲しい。

で、ふとした時に「会いたいな」とか「連絡してみようかな」と思い出してもらえたら最高だ。

 

という事を考えているうちに、年が明けた。

2019年とかもう未来じゃん。こわ。

今年はきちんと文章を書きたいな。書くにはインプットが必要。

本もたくさん読みたいし、本じゃなくてもいい、文章にとにかくたくさん触れたい。

あとは、去年断念したウクレレをもう一度始めよう。

公園でウクレレ弾きながら歌うんだ。なんかいいじゃんそういう週末。

よし、明るい未来が見えてきた。

 

彼が何利きだったかは思い出せないけど、もうこの際どうでもいいや。

僕を光らせて、君を曇らせた

地図が読めるようになりたい。

ここに行きたい!と思ったらとことん調べておきたい。

いいなと思った人にいいなと思ってもらえるような何かを持ちたい。

と、振り返る。

 

先日、散歩に行った。

せっかく時間を作ってもらえたのに、ぐだぐだしちゃって申し訳なかった。

ごはんを食べた。緊張した。

カラオケに行った。

久しぶりに誰かとカラオケに行ったから緊張したけど、すごく楽しかった。

歌声が耳に心地よくて、この歌ずっと続けばいいのになーと思った。

でもずっとは続かない。ですよね。

 

歌うまいなーと思うことはあっても、泣きそうになったのは初めてだった。

なんならちょっと泣いてた。

 

改札を出てきた瞬間、固まった。

話していて、とても素敵だなぁと思った。

歌声が、すごく耳に心地よかった。

一目ぼれってあるんだなーと思った一日だった。

 

そんな、めめしい一日だった。

 

わたしver33.1.2

相変わらず音楽に対して狂っている。

なんでも聴きたい、なんでも知りたい。

TSUTAYAレンタル課金だけに留まらず、タワーレコード購入課金にまで手を出している。

 

少し前の自分では考えられなかった。

気に入ったアーティストの音楽を聴いて、気に入った物だけを食べて生きていた。

それが今はどうだろう。

YouTubeで聴いていいと思った無名のミュージシャンのCDを購入し、

普段頼まないカクテルを頼んでは煽り、

何か資格を取りたいとぼやぼや勉強をしている。

 

まるで別人だ。

誰だ。お前は誰だ。

こんなにも頭がすっからかんで、何でも吸収できるぜって思うのは何年ぶりだろうか。

 

先日、高校時代の友人と会った。忘年会だ。2年ぶりの。

男女2人ずつのグループなので一見してキャッキャうふふな感じだが、わたし以外既婚者である。

独身貴族のわたしが予定を合わせて、今回の会と相成ったわけである。

お酒を片手に近況を語るも大体が仕事の話、あとは「昆虫には骨がないがどうやって手足を動かしているのか」と「サソリとカニは親戚なのか」とかいうマジで何の役にも立たない話で一次会が終わった。

 

二次会、というかその後行ったカフェで、わたしはカミングアウトした。

2年半付き合った相手と別れたと。フラれたのだと。

昆虫の話以上に盛り上がった。

が、ここでもう一つ。

「あたしも別れたんだよね、ハハハ」

もう一人の女子からの衝撃カミングアウト。

カニの話なんかどうでもいいくらい盛り上がった。

盛り上がるって変だな。その話題で持ちきりになった。

わたしのは破局

彼女のは離婚。

なんか、わたしの破局なんか大したことない気になった。

 

誰だお前は、と思いつつ、友人に会うとやっぱり自分は自分だと思う。

不思議だ。二面性とも違う。

…バージョンアップだ。

バージョンアップしたんだ、わたしは。

途中バージョンでバグがあって動作が止まったものの、今回のバージョンではそのバグは修正されたんだ。たぶん。

 

というわけで、わたしver33.1.2はこれからもアップデートしながら色々な事を吸収していこうと思う。

まずは音楽。