歩くのはやめないが走るのはやめた。

復活したり、やっぱり滞ったり、感情はいつも不安定だ。

どうして自分はこんなに不安定なんだろう、みんな安定して暮らしているのに、と、何年も前からずっとずっと思ってきた。
 
でも最近ふと思う。
“みんな”とは。誰のこと?
あと、本当に安定してるのだろうか。
 
いつも元気そうなあの人も、家に帰ったらスイッチが切れたようにだらしなくなるのかもしれない。
部屋なんて荒れ放題で、手の届く範囲に一通りの身の回り品があったりして。
 
わたしの思う“みんな”や“世界”は、あまりにも完璧すぎるのではないだろうか。
 
わたしが心身共にキャパシティ狭いように、
他の人はすぐにお腹を壊すかも。
わたしにとっては容易い気遣いも、
他の人は逆立ちしても気づけない事かも。
 
と、いうのをふと思いついてぶわーーーって書き連ねたんだけど、読み返したら訳わかんないな。
伝わるかなこれ。伝わるかなとか思ってるその気遣いさえも無駄だったりするんだよな、きっと。
 
先日、自分の今までと体調不安定な事とか考えられる全てのウィークポイントを人に告白した。
やべーと思う。1時間はわたしのターンだった。
 
で、その人は話し終わって息の上がるわたしに一言。
「それって、ウィークポイントなの?」
え。違うの。なんならデメリットだと思うけど…。
 
人には色んな面があって、それはあなたの一面にしか過ぎない。
少なくとも今聞いた話の中でウィークポイントと感じる部分は一つもなかった。
だ、そうだ。
 
薄くかかっていた雲が晴れて陽射しがさすような、そんな感覚に襲われた。
自分が今まで悪いと思っていた部分、そして人に全否定されてきた部分、そう感じない人もいるんだ。
わたしは見えない“みんな”に気を遣って、
気持ちをすり減らして自分で自分を殴ってきたんだな。
なんてかわいそうなんだ、わたし。
 
で、話は冒頭に戻る。
感情はいつも不安定だ。 
でも、信頼している大切な友人が言っていた。
「不安定でいい、弱くてもいい、って自分を認めてあげたほうがいい」
本当にその通りだと思った。
 
安定してる人なんかいない。
みんなどこかしらで考え事をしていて、何かしらに感情を揺さぶられている。
揺さぶられるままに、揺れてればいいじゃないか。
満員電車を思い返せ。
慣性の法則に逆らって直立不動でいるのは不可能だし、その場をキープしていたらいろんなおっさんの圧力でひっくり返るじゃないか。
そゆこと。
どゆこと?
 
今は比較的気持ちが安定してるからこんな前向きに話せるけど、多分滞って腐ることもあるだろう。
そんな時は思い出そう。
 
完璧な世界は頭の中にしかない。
完璧な人も心の中にしかいない。
フィクションに、心を殺されるな。
 
そゆこと。